視線の先 |
本当にあった怖い話 File.79 |
投稿者 木野子 様 |
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今思い返せば、彼女の足首を見つめはじめたのは、ゴールデンウイークが明けてからのことだった。 彼女は、同じ美大の違う科の学生だ。 月曜の4限、いつも私の斜め前に座っていた。 名も知らない人だった。 特別、その人に気になる要素があるわけでなく、気が付いたらなんとなく彼女の足首に目がいってるのだ。 そんな自分の奇行の意味を知ったのは、大分後になってからだった。 *** 梅雨も明けた6月の終わりの爽やかな月曜日。 「S!」 昼休みの大学のカフェテリアで、名前を呼ばれた。 形のいい綺麗な手がまず目について、顔に視線を上げる。 Hだった。 「あれ?珍しいね、弁当?」 そう言いながら、彼は、定食を乗せたトレーを器用に片手でテーブルに置く。 音一つたてないその動作に感心しながらも、私はため息をついた。 その理由は、他でもない彼の片腕に抱えられたものにあった。 「それ、なに?」 彼は、よくぞ聞いてくれたといわんばかりに、それをテーブルに置く。 透明なケースに入った人型だった。 ケースにピタリと張り付くようにして、こちらをじっと見ている。 目は空洞のようで、真っ暗な闇が広がっている。 子供だろうか。 色は、干からびたようなまだらな茶色をしている。 とても趣味のいいと言えるものではない。 まして、食卓の上に置いていていいものでもない。 私は、怪訝な顔をして箸を置いた。 「何それ。何で出来てんの?」 石膏でも粘土でもなさそうな独特の質感である。 「石鹸だよ。着色料を混ぜて作った石鹸を掘ったんだ。」 ふぅん。 珍しいこともあるものだ。 Hが、授業外で何かを制作しているのを初めて見る。 いや、授業すらもまともに出てないのが本当だが。 しかし、私が今まで見た数少ない彼の作品は、悔しいほど美しく、綿密で、情緒さえ感じさせるものだった。 「なんか、Hにしては、珍しい感じの作品だね……。」 茶を濁すような口ぶりで、彼の反応をうかがい見た。 彼は、私とは対照的に愉快そうな笑みを浮かべながら答える。 「正直に言ってよ。」 私は、もう一度その人型を見る。 一瞬目があった気がした。 真っ暗闇の目に捕われそうな、得体の知れない気持ち悪さがある。 それは、なんとなく知っているような感覚だった。 「気持ち悪い。」 彼は、私の返答を聞き、少し目を伏せ、ニィーっと歯を見せて笑った。 「実は、これ。いわくつきなのね。」 「まあ、作った僕が言うのもおかしな話だけど。」 それから、彼は唄うように話し出した。 彼……Hは、ひょんなことから取り付かれやすい体質になってしまった人だ。 そして、オカルト大好き人間になってしまったのである。 オカルトマニアが祟って、霊媒体質になるというのは聞いたことがあるが、 霊媒体質になったからオカルトマニアになったという、変人だ。 そんな彼と一緒にいる私は、よく「そういった」話を聞かされる。 それだけならいいのだが、私を巻き込もうとすることがあるので、たまにうんざりするのだ。 今回も、そんな話だったら堪らない……と思いつつ、聞き入ってしまう私も、すっかり侵食されてしまったと思う。 Hの話はこうだった。 5月の終わり、同じ大学の女の子が、彼に話しかけてきたのが事の始まり。 なんでも、体が重いのだそう。 病院に行っても、異常は見当たらない。 しかし、日に日に体重も減るわ、夜はうなされるわ、奇妙な夢を見るわで、ただ事ではないと感じ始めたらしい。 そこで、もしかしたら、霊的なものかもしれないと考えはじめ、Hに相談したのだそうだ。 心当たりがあったらしい。 (それについてはここでは触れられませんが) Hは、顔見知りの霊媒師のAさんを紹介し、無事浄霊したとのこと。 「そんで、これだよ。」 ツンツンと人型の入ったケースをつっつく。 「Aさんに、彼女に憑いていたものの特徴を聞いて、一緒に作った。」 私は、空いた口が塞がらない。 なんて、悪趣味なことをするのだろう! Hはともかく、Aさんまで……。 呆れながら、私は聞いた。 「そんなことしてどうすんの?」 H「どうするって……。Sのためだよ。」 予想外のその答えに、私は空いた口を更にあんぐりさせてしまう。 なんだって? Hが、更に言葉を被せようと口を開く。 その瞬間、予鈴がなった。 私は、半分も食べていない弁当をそそくさと片付けると、席をたった。 Hは、不満そうな顔で私を見送る。 冗談じゃないぜ! 「つづき」なんて聞きたくもない。 カフェを出る間際に振り返ると、Hは行儀よく手をテーブルで組みながら、にやにやと気味悪く笑っていた。 *** 3限の講義は、運悪くクソ面白くもない色彩の理論だった。 Hの話が気になってしょうがない。 講義に集中しようとしても、あまりの面白味のなさにそれも出来ない。 チラチラと、あの人型が頭によぎる。 あの目のない目で、私をじっと見ている。 そして、 何かを掴もうともがくのだ。 ハッとする。 何故だ? 何故、あの人型が「何かを掴もうとする」のだ? Hが見せたあの人型は、ケースにピタリと張り付いていたのに、私の中のあの人型は何かを掴もうとしている。 初めて見たはずのあの人型が、私の知らない動きをする。 いや、本当に「知らない」のだろうか? 実は、Hにあの人型を見せられたとき、何か違和感を感じていたのだ。 あるべき姿とは違うような感じがしたのだ。 しかし、今、私の中で何かを掴もうするあの人型には、「しっくり」くるのだ。 まるで、いつも見知った何かを見るように。 チャイムが鳴る。 いつの間にか講義は終わっており、教室には人もまばらだった。 我に返った私は、額の嫌な汗に気付いて、苦笑いした。 Hの言葉を真に受けることはない。 気にしすぎて、自己暗示に陥った結果、変な考えに走ってしまった。 やれやれ、これではHの思うつぼではないか。 大丈夫。あんなのは、ただの妄想に過ぎないだろう。 *** 4限、見たくもない顔に隣の席を陣取られる。 聞く耳を持たないぞ!と構えていたが、Hは、なんでもなさそうな顔して鉛筆を削っている。 「僕、Bじゃないと文字うまく書けない……。」 とか、どうでもいい情報をぶつぶつ発しながら、カッターと格闘している。 「ふーん。ちなみに私は2B派だけど。」 「そお?」 って、あれ……「つづき」いいの? 呆気にとられたままHの手元を見ていると、講義が始まった。 ぼーっとしているうちに、時間は過ぎていく。 「ねえ。」 ふと、Hが話しかけてきた。 「あの子、見て。」 Hが指差す先に、女の子がいる。 「あの子なんだよねえ、お祓いしたの。」 Hの横顔が囁く。 ああ……。さっきの話の子か。 話がまたお昼に戻りそうだったので、制止したかったが講義中だ。 強く、止めに入れない。 眉をひそめるが、Hは気付かないふりで続ける。 「実はね、さっきの話嘘が交じってて。 あの子から、話しかけられて相談されたって言ったけど、逆なんだ。 僕から、助けを買って出た。 最近、なにか変ったことはない?って。」 それはおかしい。 Hはいくら憑かれやすくとも、いくらオカルトマニアでも、全く「見えない」人なのだから。 どうやって、彼女の異変に気付いたのだろう。 「月曜日の4限。この講義で、いつもあの子はあの席に座る。 そして、僕たちは決まってこの席に座るよね。」 私は、頷く。 「そしたらいつもさ、Sは気付いたらいつもある一点を見つめてるんだ。」 私は、思い出した。 5月頃、講義中によく周囲の友人に注意されていたことを。 「あの子の足元を凝視してるんだもん、何かと思ったよ。」 ああ。それがあの子だったのか。 足元ばかり見ていたせいで全体像を把握していなかった。 「最初は、足首フェチなのかあって思ってたんだけど、 あまりにも見すぎだし、それを意識してやってる様子もなかった。 これはなにかあるなあ、と。 Sの無意識は怖いからね。」 そういうことか。私はすべてを理解した。 「ねえ、やっぱりさっきの人型……。」 Hがこちらを覗くように顔を向ける。 私は、俯きながら答える。 「見覚え、あるよ。」 片手で腕をぎゅっと握りしめながら答えた。 意外にも素直に答えた私に、Hはびっくりしているのが雰囲気で分かる。 また、無意識のうちに見てしまっていたのか……。 Hは言った。 「Aさん言ってたよ。あいつをあの子の足元から引き剥がすの、大変だったって。」 脳裏で、あの人型が掴んでいる 何かが、はっきりと見えてくる。 背筋が寒くなってくる。 「僕が、あの人形を作った理由分かったでしょう。」 とんでもないやつだ。 Hのせいで、私はあいつをはっきりと意識してしまったのだ。 「あれ?怒んないの?」 つまらなそうに、言うH。 怒るどころか、私はHの方を向くことも出来ず、ひたすら俯く。 「まあ、もう浄霊もしたし、そんなに落ち込むなよ。 意識しちゃったからって、もう見えないよ。 いないんだからね。 その証拠に、最近のS、あの子のこと見てないしね。」 そう言いながら、Hは講義に向き直る。 鉛筆でメモを取っているのだろう、擦れる音が聞こえる。 そう。確かに今は、もうあの女の子を無意識に見ていることはない。 今は……。 私は、重い口を開いた。 手は、もはや、震えている。 「最近、私おかしいの。Hのことばっかり目で追ってる。」 「ん?何の話?告白?」 「厳密に言えば、気付いたら、Hの手ばっかり見てるんだよね。」 そう、思い返せば今日もそうだったのだ。 カフェテリアでも、講義前も。 カキッ Hのお気に入りのBの鉛筆が折れたであろう音がした。 さっきからずっと、私の脳裏には、あの女の子の両足に掴まるアレではなく、 Hの両手に掴まるアレの姿がくっきりと浮かんでいたのだ。 「……どうりで、最近体が重いと思ったよ。」 そう言ったHの方を、私は決して振り返れなかった。 ★→この怖い話を評価する |
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