打ち首

創作の怖い話 File.76



投稿者 dekao 様





やむを得なかった。

主君は暗君、女狂い。

出奔しなければ

我が妻が、夜伽の相手に…。

しかし、拙者のような下級武士に追っ手など

どれほど我が妻にご執心であった事か。

…土壇場、か。

意外と広く感じるものだな。

見物人が大勢いるな。

介錯をする大介錯役の知り合いには

私が、きちんと腹を召すまで

刀は振り下ろさないよう頼んでおいた。

昨今は、切腹も形式的な事になってしまい

酷い時には、刀の代わりに扇子が渡され

それで腹を切る真似だけして終わりだ。

それでは、私の

この行き場の無い憤怒が表せない。

末期の酒を飲み干し

おもむろに浅黄色の無紋裃をはだけ

無念腹かっ捌くべく、左前に合わせた白無地の小袖を左右に開く。

四方に乗せられた短刀をつかみ

拵えを確認し、柄に指をめり込ませ…抜く!!

雪が舞っているが、寒さは感じない。

見物人は、皆一様ににやにや笑っている。

そのような物なのだろう。他人事だ。

四方を後に回し

呼吸を整える。

妻は、追っ手に捕まる寸前

自害して果てた。

目を瞑り、妻の顔を思い出す。

…無念だ。

しかし、ただでは死なん!!

目を見開き、一気に腹に刀を突き立てる!!

入った瞬間は、まるで痛みなぞ感じなかったが

次の瞬間、激烈な痛みが全身を駆け巡った!!

っつ!?

歯を食いしばり、痛みを排し

からくり人形の様に刀を右に動かして…呼吸が…出来ない。

良い!! 呼吸が出来なければ、それでも良い!!

左から右に腹をかっ捌いた。

まだだ!! まだだぞ!!

まだ介錯はするな!!

短刀を抜き

臍の下に改めて突き入れなければならない!!

…気が遠くなりそうだ。

ありったけの気力を振り絞り

一気に入れ、そして鳩尾まで

…刃に臓物や肉が絡み付く。

食いしばっていた歯が、音を立てて折れた。

やった!!

鳩尾まで切った!!

これからだ!!

これからだ!!

私は、切ったばかりの腹に両手を入れると

中の臓物を掻き出した!!

「暗君!! 我が死に様!! とくと見よ!!」

肺に残った気を全て吐き出し

城に向かって

吠えた!!

その瞬間

「ご免!!」

という言葉と同時に

首が何かで叩かれた。

急に視界が下がる。

体が、動かない?

…あぁ、そうか。

介錯の刀が、振り下ろされたのか。

そういえば、腹の痛みを

感じない。

目の前には、自分の

切腹したばかりの腹と腸。

臓物を掻き出したから、ぽっかりと口を空けた

自分の腹が、目の前にあった。

…湯気が立っているな。

見物人も、声一つ上がらないな。

最後の最後、痛快な笑みを浮かべ

名も無き武士は

絶命した。



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