雛祭り

創作の怖い話 File.107



投稿者 はぴ 様





あるところに男がいました。
悪い人間ではありませんでしたが、真面目で善良だとはいえない男でした。

それでも少し前まではそれなりに働いておりました。
だけど上司を殴って会社をクビにされて以来、
パチプロを気取ってはパチンコ屋さんにせっせと貯金するようになりました。
面倒な事はパートに出ている奥さんに全部任せておりました。

奥さんはそれを大変苦々しく思っていましたが、
幼い娘の事を考えると思い切った手段をとる事ができませんでした。

まだ小学生の娘は利発な子供でした。
無駄に賢かったので、自分の両親の仲や家の経済状況をなんとなく察してしまい、
いつしかなんでも我慢する子になりました。

そんなある日、娘は友達の家で雛人形をみました。
七段飾りの立派な雛人形でした。
上から五段目までにお内裏様にお雛様、三人官女、五人囃子、右大臣左大臣、

三人仕丁まで15体の人形が揃い、残りの二段には蒔絵のついた嫁入り道具が幾つも並んでいます。
金の屏風に緋毛氈、雪洞はスイッチを入れると本当に灯りがつきました。

娘は一目で夢中になり、家に帰ってからも、
友達の家の雛人形がどんなに綺麗で素敵だったかを両親に絶えず話しました。
だけど、自分も欲しいとは決して言う事はなく、折り紙で雛人形を折って机に並べて眺めていました。

その小さな後姿に、男の胸はさすがに痛みました。

娘の為、何としてでも雛人形を手に入れる!

男は堅く心に誓って家を出ました。

数時間後、パチスロの台の前でがっくりとうな垂れる男の姿がありました。
今更ハローワークに行って、仕事を探しても雛祭りには到底間に合わないと思ったのでした。
だけど男のズボンのポケットには現金が35円しか入っていませんでした。

男はとぼとぼと家路につきました。
人形店の前を通りかかったとき、ショーウインドウをカチ割りたい衝動にかられましたが、どうにか思い留まりました。
近道しようとお寺の庭を横切ろうとした時、男の足はぴたりと止まりました。

お堂の中に大量の雛人形が所狭しと置かれていました。
人形供養の為に集められた雛人形でした。

男は悪い人間ではありませんでしたが、真面目で善良だとは決していえない男でした。
15の夜には校舎の窓ガラスを割ったりもしました。

男は雛人形の寿司詰めをみて、ごく自然にこう思いました。
『一つくらいなくなってもバレないだろう』と。
『どーせ全部燃やしてしまうんだから、かまわないだろう』とも。
そして手が届く位置にある物の中で一番豪華そうな女雛をひったくると、すたこらさっさと逃げました。


男は『偶然会った知り合いにもらった』と言って、娘に雛人形を渡しました。
雛人形は鮮やかな十二単に、きらきら光る金冠、檜扇には花鳥が描かれて五色の飾り糸がついています。
そして何より、生きてるような綺麗な顔が素敵なお雛様でした。
何も知らない娘は大喜びです。

「悪りぃな、一個しかなくて」
「ううん、お父さんありがとう!」

娘の心からの笑顔を見たのは随分と久しぶりで、男はいい気分になりました。

それから娘は雛人形をとても気に入り、それはそれは大事にしました。
学校から帰るとすぐ、雛人形のところへ行き、ずっとにこにこと眺めています。
そして、雛人形に話しかけるようになりました。
学校の事、友達の事、帰り道での事、好きな食べ物の事、両親が仲良しだった頃の事。

「…それでね、……だったの」
「うん。そうだよ」
「わたしもそう思う」

会話が成立していた事に、男も奥さんも気づいていませんでした。
だけど少しずつ、奇妙な事が起こるようになりました。

夜中に誰もいない部屋から笑い声が聞こえたり、窓枠に長い髪の毛がびっしりと詰まっていたり、

ドアに小さな引っ掻き傷が無数についていたりしました。

娘と雛人形はいつも一緒でした。
娘が雛人形以外のものと話さなくなっていた事に気づいたのは、奥さんでした。

奥さんが雛人形を片付けようとすると、娘は泣いて嫌がりました。

「やめて!連れて行かないで!やだやだやだあっ!!」

いつもは我がまま一つ言わない娘の、激しい剣幕に奥さんはとても驚きました。
だけど奥さんは断固として聞かず、雛人形を娘の手の届かない押入れの一番高い所に仕舞いました。

その翌日、奥さんは交通事故に遭って死んでしまいました。

男が泣いたのは通夜が終わって、親戚や葬儀屋の人が皆帰った後でした。
家に自分と娘だけになってようやく、妻を亡くした事実を実感してしまったのでした。

娘は白木の棺の前にちょこんと正座していました。
その膝に、あの雛人形がありました。

男は激しい恐怖に震えました。
そしてそれは深い怒りに代わりました。

雛人形を娘から奪い取ると、庭に投げつけて踏みにじりました。

「やめて!返して!!いじめないでっ!!」
「畜生!!こいつがっ!よくもよくもよくもっ!」

娘は男にすがりついて泣き叫びましたが、男は泥に塗れた雛人形に灯油をかけました。

「いやだああ!燃やさないでぇぇぇぇっ!!」
「最初からこうしとけばよかったんだ!」

そして男は火をつけました。
とてもよく燃えました。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

悲鳴は雛人形からあがりました。
甲高い、子供のような声でした。

「熱イ!熱イヨウ!!助ケテ!助ケテ!助ケテ!」

雛人形の黒髪が嫌な匂いをたてながらみるみる縮み。
白い顔はあっという間に火ぶくれに覆われ、目が白く濁り、皮が弾けて黒こげになりました。
それでも雛人形は叫び続けました。

「熱イヨ!痛イヨ!オ父サン助ケテーーーーーーーッ!!」

雛人形は娘の声で叫びました。

「だから言ったのに……燃やさないでって」
呆然とする男に、娘は聞いた事もない冷たい声でそう言いました。



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