母の警告 |
感動の怖い話 File.22 |
ネットより転載 |
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もう何十年も前の事である。 あの時感じたもの━━。 あれを殺意というのだろうか。 しかもそれは私に向けられたものだった。 母だった。 家事をしていた筈の母が私の背後に立ち、片手にある包丁を振り上げ、 オモチャで遊んでいる私を悲しげに見下ろしていた。 その時私が何歳だったのかは、はっきりとは分からない。 私の母は今で言うシングルマザーだった。 相手の男、つまり私の父は母の妊娠を知るやすぐに逃げた。 母は全くの女手一つで私を育てた。 母は私の前では元気に振る舞っていたが、当時幼い子供だった私にもその過酷さはよく分かった。 屋根のあるところで三食食べて布団で寝る。 この当たり前のことのために、母は必死に働き続けなくてはならなかった。 私は子供の頃から思っていた。 あの時━。 あの時母が何かに追い詰められて、そんな気持ちになったとしても責められないと。 中学に入った頃、一度だけそれとなく母に聞いたことがある。 私「あの時休憩かなんかだったの?結構ビビったよ…」 母「はぁ?」 母「あんたが小さい頃は刃物の扱いには特に注意してたし、そんなの有り得ないよ」 夢や思い違い━━。 あまりに幼い頃の記憶、その可能性も否定は出来ない。 しかしその場面の記憶はとても鮮明なのだ。 そんな母も、26年前に亡くなった。 結局あの時の母の行動の真相は分からないままだった。 そして今から約25年前の7月、墓参りに行った時の事。 墓の前には、あの時の記憶のままの母が悲しげな、何か伝えたがっている様な表情で立っていた。 母が私に伝えたがっている事。 それがあの時、私にしようとしていた事への詫びだったとしたら…。 果たして、はっきりとさせる必要などあるのだろうか。 その墓参りの日から、母は頻繁に私の前に現れるようになった。 家で、職場で、街中で。 私は母を無視し続けた。 やがてある夜の事。 枕元に母が立っていた。 しかし母の様子がいつもと違うことに気づいた。 眉間にシワを寄せ、歯を食いしばり、涙を流して、何やら悔しそうな、 すごく怒っているような、そんな表情で私を見つめていた。 その日の夜以降、母はいつも怖い顔で私の前に現れるようになった。 ある日、通勤電車に乗っていた時の事である。 相変わらず母はあの夜に見た怖い顔のまま、電車の中の人混みに紛れて私を見つめていた。 「あきまへんなぁ」 私「え…?」 横を見ると、明らかに坊さんと思わしき人物が、母の方を見ていた。 「お母さんの警告、無駄にしたらあきまへんで」 私「警告…?」 私「あなたには、母が見えていらっしゃるのですか?」 「あんた、明日出張にいきなはるんじゃろ。明後日はお盆やのに、大変やなぁ」 坊さんは母の方を優しい笑みで見つめたまま答えた。 確かに明日は出張だった。仕事で大阪に行くことになっていたのだ。 私「何でそれを…?」 「お母さんからせっかく授かった命、大切にせなあきまへんで」 私「…」 「ほな、さいなら」 坊さんはそう言うと私と母に会釈して電車を降りていった。 母は相変わらず表情を変えずに私を見つめたままだった。 明日は仕事に大いに関わる大事な出張だった。 しかし私はその時、坊さんの言葉と、母の表情と伝えたがっている事の意味にようやく気付いた。 飛行機に乗るな━━。 母はきっと私にそう伝えたかったのだろう。 意味を理解した瞬間、母の表情が優しい笑顔に戻ったのだ。 私は出張に行くのをやめることにした。 どうしても母の警告を無視するわけにはいかないと思ったからだ。 会社の上司に出張に行くことができない事を電話で伝えると、 行かなければ首だと電話を切られてしまった。 しかし私の決心はとても固いものだった。 母の警告を無視するくらいなら、首になっても構わないという気持ちになっていた。 そしてその翌日。 1985年、8月12日 その日私の乗るはずだった日本航空123便は、御巣鷹山の中に消えていったのだ。 死者520名。 生存者4名。 この事はニュースやテレビで大きく取り上げられ、しばらくはどこへ行ってもこの話題で持ちきりだった。 会社の方達も生存者の中に私の名が挙がらなかった事から、 てっきり私が死んだと思いこんでいたようだ。 お盆休みがすぎて出勤すると、みんな幽霊でも見たかのように悲鳴を上げたり驚いたりした。 正直に事情を説明しても嘘だと言われるのは目に見えているため、 仕方なく寝過ごしてしまったということにした。 さすがに理由が理由だったが、命が助かって良かった。神様に感謝しろ。 と上司に言われただけで首にならずに済んだ。 あの事故の日からもう母の姿を見ることはなくなったが、 お盆の間中毎日感謝の気持ちを込めて墓参りをし、 お盆がすぎても1月に一度は必ず母に会いに墓参りに行くようにした。 墜落事故から2ヶ月たった頃、私はいつものように通勤電車の中で揺られていた。 「いてはりまへんな、お母さん」 横を見ると、あの日の坊さんがあの時と変わらない優しい笑顔で座っていた。 「あの時お母さん、おたくさんになんや詫びてはった…」 私「いや…」 私は坊さんの言葉を制した。 私「母は私にとって世界一の母です」 私「謝る必要なんて何もない」 私「私は母の子で本当によかったと思っていますよ」 「ほぅ、そらぁ、けっこうなことどんなぁ」 坊さんはさらに一層微笑みながらそう言った。 あの時、母の警告を無視していたら、私は死んでいたのだろうか。 生存者4名━━。 やはりこの4名の中に入ることは、きっと不可能だったに違いない。 ★→この怖い話を評価する |
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