あんちゃん

摩訶不思議な怖い話 File.106



ネットより転載




ちょっと前に友人の兄が亡くなった。

俺は友人(仮にAとしておく)の家に行って焼香をあげた。

Aと俺は昔から、それこそ一番古い記憶にも顔をだしている位の付き合いだった。

Aの兄は俺達よりも6つ離れていたが“世話係”といった感じで、

渋々ながらも俺達の面倒を見てくれていた。

だから、結局、Aと同じ位に古い記憶に残っている。

Aの兄さんは凝り性というか、学者タイプで、

大学もダブりながらも院までいって、研助手になってひたすら研究ばかりしていたらしい。

愛想は良くないし、教授の事も良く無視して自分の事ばかりやっていたので、

「生真面目な変わり者」と思われていたらしい。

良くは知らないが、キノコとか粘菌の研究だったらしい。

彼は、都合4年かけて集大成の論文を上げたばかりだった。

それは彼の最後で最高の、まさに人生を賭けた結晶だったのだと思う。

彼自身、

「これ終るんだったら、もうピリオド打っても良いくらい」

と良く言っていたそうだ。

Aも

「そういう意味の言葉はしょっちゅう聞いてはいたな」

と眉を八の字にして泣き笑いしていた。

「でも、まさか本当に逝っちゃうなんてなぁ……あんちゃん加減知らないから」

などと言ってまた泣き笑い。

「俺、今日はここにいてもいいかなぁ」

「いいよ、あんちゃんもその方が喜ぶよ。なんだったら寝ちゃってもいいし」

それで、俺は通夜を彼の家で過ごした。


「でも、あんちゃんはきっとあれで良かったんだよなぁ」

Aが言った。

何故かと問うと、

「あんちゃんは、もうこの世でやる事は全部やり終えたから、天に帰ったんだよ」

Aは、そうやって納得しようとしていた。

そう、俺もそう思えた。

否、思いたかっただけかも知れないが、その時は、否も応もなくその場にいた人達は全員頷いていた。

確かにそうだった。
そこにいた誰もが、彼の死に天命に近いものを感じていた。

「すべき事を終えて彼は満足に死ねたよね」と誰とも囁いて、泣いていた。

棺の中の顔は安らかで、少し微笑んでいる様だった。

それで気が弛んだのか、俺は横になった拍子に寝てしまった、

夢を見た。

公衆便所の様なタイル張りの廊下にいた。

廊下の先が何処まで続いているかは見当が付かない、果てがない廊下だった。

僧侶がいた。

袈裟を纏って、静々と果てに向けて歩いているその背は綺羅の如く輝いている。

そして、丑(うし)に乗った彼がいた。

丑は白く大きく美しかった。

僧侶は丑を引いて歩いている。

彼はそれの背に乗って果てに向って歩んでいた。

俺は思わず手を合わせた。

涙が出た。

ああ、やっぱり彼は天国だか浄土だかにいけるんだな、と思った。

ふと横に気配を感じた。

Aがいた。

彼も手を合わせて頬に涙を伝えていた。

その他にも、いつの間に集まったのか10人あまりの人々がいた。

見知った顔もあれば知らぬ顔もあるが、皆一様に首を垂れて合掌していた。

みんな心から感動していた。

これが生ききった人間の昇天なのだ、と思っていた。

みんなで彼を見送っていると、彼がくるりと振り向いた。

くしゃくしゃの泣き顔だった。

「みんなぁ……」

と彼が言った、と思う。

みんなは微笑んで頷いて、手を振ったりした。

彼は更に顔をぐしゃぐしゃにさせて、駄々をこねる子供みたいな顔になった。

「やだぁ!やだよぉ!怖いよぉ!死にたくない死にたくない死にたくないよぉ!!誰か、だれか!!」

彼はこちらに身体を向けるやいなや、すごい勢いで追いかけて来た。

丑は頭が無かった。

速い。

俺達は逃げた。

追いかけてくる彼の顔は酷いものだった。

「なんで俺だけなんだよぉ、やだぁいやだぁ!これからだって言うのに!!やだよぉ、何処にいくの?!

こわいよぉ!だれか来て、誰か一緒に来てよぉ!怖いよぉ怖いよぉおお!!」

廊下は真直ぐだ。

俺達はひたすら走った。

「あ」

という声が聞こえて、俺は目が覚めた。

傍らにはAがびっしょり汗を掻いて、俺を眺めていた。

「今、変な夢見た」「俺もだ」

同じ夢を見ていた。

Aの兄に追われる夢。

あんな子供の狂った様な彼の顔は始めてみた。

すごい厭な顔だった。

俺達は急いで彼の御棺に向った。

もしかしたら、彼の顔は今、あの酷い顔に……と、途中でAの父に呼び止められた。

「おい、Sさんが病院に運ばれた」

「Sさん?あんちゃんの同僚の?」

「通夜に来てくれるつもりだったらしい。八王子のあたりで事故ったんだと。

居眠り運転だとからしいが、なぁ、こういう時どうしたらいいんだ?」

それは、俺達には答えられなかった。

「Sさんの不健康な良く肥えた身体なら、死にゃあしないよな…」

Aはそんな軽口まで叩いていた。

俺は夢の中でSさんがいたのを覚えている。

彼は肥満体型で足が極端に遅い。

Aが手振りをするので棺に近寄った。

棺の扉が開いて、彼の顔が覗いた。

棺の中の顔は安らかで、少し微笑んでいる様だった。




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